ワシントンDC、郊外。 20時を回った頃、FBI特別捜査官フォックス・モルダーは、仕事を終えてアパートに戻る。
スーツの上着をソファに投げ、腰のグロックをホルスターごとベルトから外し、テーブルに置いた。
モルダーはシャツの袖をまくり上げ、冷蔵庫を開ける。中には彼が平日に頼る“お助け食材”たちがきっちりと詰まっている。
ボロニア・ソーセージ、卵、牛脂、瓶詰めのピクルス、自家製のハーブバター。
そして、彼の密かな誇りである「Xファイル印」の手作りケチャップも忘れてはならない。
ボロニア・ソーセージを適量切り、フライパンで炙る。それに卵を二個割り、目玉焼きにした。
モルダーはいつものように、ため息ひとつついてコンロの前に立った。
「FBIがイタリアン・マフィアの下っ端みたいにボロニア・ソーセージで一人寂しく夕飯か」
FBIエージェントのくせに、毎晩の食事がボロニア・ソーセージと卵なのはどうかと思うが、彼にとってはこれがルーティンであり、なにより――美味くて合理的だった。
「まあ、美味いんだけどな。なんたって僕の手作りだからね」
フライパンに乗せたボロニアがジュッと音を立てる。冷蔵庫のドアには古びたマグネットと、スカリーに言われて貼った「塩分は控えめに」のメモ。
だが、そんな忠告も今夜は無視だ。
「まあ、塩分で死ぬ前に、宇宙人に謎汁ブシュッ!ってぶっかけられてやられる方が早いだろうな……」
独り言をつぶやきながら、フライパンに卵を割る。
目玉焼きの縁がカリッと音を立て、白身の端がこんがりと色づいてくる。モルダーはヘラでボロニアを裏返し、ふわりと立ち上る香ばしい匂いに軽く鼻をひくつかせ、満足げだった。
ボロニアの脂がパチパチと跳ね、フライパンの中で甘い香りが立ち上る。静かに火の通り具合を見つめた。
目玉焼きは黄身が崩れないように慎重に――だが、やっぱりひとつは少し潰れてしまう。こういうときは、少しだけイラッとする。
「またか……」
小さくため息をつきながらも、どこか愛着のあるルーティンだ。この“失敗込み”の目玉焼きこそ、彼の現実というわけだ。
焼き上がったボロニアと目玉焼きを皿に盛る。目玉焼きは、黄身が崩れてはいるが、かまわない。
彼は片手で冷蔵庫を開けた。中にはきっちりと整理された保存容器と、ラベル付きの自家製ソーセージ、瓶詰めのピクルス、クラフトビールが並んでいる。
冷えたジンジャーエールを選びそうになったが、今夜はビールで。
ビールの缶をプシュッと開けてリビングのソファに腰を下ろす。テーブルには今夜も、極めてシンプルなディナー。少し塩分が気になるが、心の平穏を引き換えにした静かな夜。
「……これで今夜も、何かに憑かれたようにXファイルの山に戻らずに済むなら、まあ、いいディナーだよな」
ボロニアにフォークを差し込み、ひと口。
うまい。スモーキーな香りとジューシーな肉の味、それに塩気が絶妙だった。
「さすが、CIAの“シャルキュトリ講座”仕込み……」
画面の奥、TVの電源はついていない。だが、静けさの中で彼は確かに「誰か」との時間を思い出していた。
いや、そんなことはない。
「……スカリーなら、たぶん言うだろうな。“ナトリウム過多よ、モルダー”ってさ」
ため息まじりにそう呟きながら、彼はボロニアの次の一切れを口に運んだ。冷えた夜の空気の中、熱と煙がまだキッチンにほんのりと残っていた。
ビールをひと口飲んで、ようやく人心地ついた頃――
ふと視線を横にやると、積みっぱなしの段ボールの中から少しだけ顔を出す“Playpen”の背表紙が目に入った。今夜こそ処分しようと思っていたが、手は伸びる。
「……こいつが今日のデザートか」
雑誌を手に取り、パラパラとページをめくる。
その手は途中で止まった。
「……“心の闇”ってのはな、整理しようと思うほど、棚の奥で増殖するもんだよな……」
ボロニアを一切れ口に運びながら、その雑誌――“Playpen”の1997年3月号の表紙の金髪モデルは、少々時代遅れのメイクとポーズをしているが、モルダーにとっては、青春の記憶のようなものだった。
ページをめくりながら彼はふと、昼間に出会った“肺がん男”の姿を思い出す。
(まさかあんな場所で……おまけにあんな本を持ってるとはな……)
ビールをもうひと口飲んで、雑誌をそっと閉じる。苦笑しながらボロニアをもうひと切れ口に入れる。テレビではニュースが流れていたが、音はほとんど聞いていない。
黄身の半分崩れた目玉焼きも塩辛さが絶妙のボロニア・ソーセージも、それもまた日常だ。
テレビではローカルニュースが流れている。宇宙人の話も、Xファイルの報告も、今だけは遠くに置いて。
モルダーは独り言のように、誰にともなく言った。
「この世で一番ミステリアスなのは――ちゃんと焼けた目玉焼きと、趣味を隠して生きる大人たち、だな」
その夜、ワシントンDCの片隅にあるアパートの一室には、静かにビールの泡が弾ける音だけが響いていた。
モルダーは食べ物には何か特別な力があると、ずっと信じていた。
「自分でも、真実を追い求める力が食事から来てるって思うと、ちょっと気味が悪いな」
でも、真実を追うためのエネルギー源として、食事は外せなかった。
無理にでも身体を動かすためには、常にエネルギーを補給していなければならない。そのエネルギーは、まさにこうして食べることでしか得られないと、モルダーは理解していた。
そうこうしているうちに、いつの間にかビールは飲み干されてしまった。モルダーは、満足そうにテーブルを見渡しながら、もう一本空けることにした。
「やっぱり、食の力こそが最強だよな」
彼はそれを呟きながら、次の一杯に手を伸ばし、しばらくの間、心地よい静けさの中で過ごすのだった。
「……タバコ野郎、あの話になると急に饒舌だったな。あれは……もしかして、あいつの初恋か?」
そんなことを考えている自分に、ふと気づいて顔をしかめる。
「せめて今夜は、UFOも、スカリーの説教も出てこないでくれよ……僕はただ、ボロニアと平穏を味わいたいだけなんだ」
その静かな夜、ワシントンD.C.の片隅で、FBI捜査官モルダーは目玉焼きの黄身がもう少し綺麗に割れていたら…とだけ、心から願っていた。
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日曜。スカリーの自宅。
モルダーは、ああ見えても貪欲である。 真実を追う、つまり戦う日々・・・膨大なエネルギーを消費する彼の行動・行為の源はすべて食により支えられている。
「これ、全部使う気じゃないでしょうね?」
スカリーはそう言って、まな板の隅にあった牛肉の塊を見て目を見張った。
「もちろん。肉は多い方がいい」
モルダーは持参した一キロほどの牛肉の塊をミンチにしている。塩と荒挽きのブラック・ペッパー、ナツメグを振った。
玉ネギをミジン切りにする。
牛脂は焦げながら溶け、その一瞬、バチッという鋭い音とともに、脂の粒が空を飛ぶ。
「……あちいっ!」
脂はモルダーの首もとや、だらしなく着こなしたシャツから出る脇腹、腰のホルスターにまで飛び散った。
モルダーの腰にあるホルスターの中——すなわちFBI制式拳銃グロック19のスライドに命中した。
モルダーは反射的に腰をひねり、フライパンから身を遠ざけたが、時すでに遅し。
ホルスターの革にじわっと染み込む牛脂。黒いグロックの表面には脂の跡がしっかりと残っていた。
「……もっとしっかり、エプロン着ておくべきだったな。これはもう、銃のメンテナンスのレベルじゃないな……」
ぼそりと呟き、グロックをホルスターから抜いてテーブルの上にそっと置く。
スカリーがリビングから顔を出して一言。
「ねえ、モルダー。料理中くらい銃を遠ざけたら?どんな状況を想定してるの?」
呆れ顔だ。
「……そうだな。新手の嗅覚型宇宙生命体対策かもな。鼻がいっぱいついたヤツ」
モルダーは肩をすくめた。
「銃が脂まみれよ」
「もう名前をつけてやりたいよ、このグロックには。“ミートくん”とか……」
「それより、火災報知器が鳴る前に、玉ネギ入れてちょうだい」
スカリーは呆れつつも、どこか楽しげな口調でそう告げた。
「モルダー、料理中に銃を携帯してる人なんて見たことないわよ。射撃訓練じゃなくてハンバーグよ?」
モルダーは振り返り、少し肩をすくめて言った。
「習慣だよ、スカリー。万が一、銃なしでキッチンでグレイ型エイリアンに奇襲されたらどうする? 熱々の油でもぶっかけるのかい?」
「そんなの、牛脂で滑って転んでる姿しか思い浮かばないわ」
スカリーは腕を組みながらキッチンに入ってきて、ガスレンジの上のフライパンを覗き込んだ。いい具合に加熱された牛脂が煙を上げ、玉ネギのみじん切りの山が待機している。
モルダーは真顔で刻んだ玉ネギをフライパンに投入した。ジュワッという音とともに、甘い香りが部屋中に広がる。モルダーは手際よく炒める。
「でも、いい匂い……。モルダー、ナツメグ入れたの?」
牛脂の溶ける音がキッチンに広がり、跳ねた脂がモルダーのジーンズに小さな染みを作っていた。彼は気にする様子もなく、ボウルに入った挽き肉を木べらでこねながら、そばのスカリーに目をやった。
モルダーはにやりと笑い、鼻で笑うようにして頷いた。
「ああ、もちろんさ。下味にナツメグを入れることでお肉の臭みを軽減する効果があるからな。加熱すると甘くて温かい香りになる。それに……ちょっとした隠し味だ」
「へえ、FBIの訓練マニュアルにでも載ってるの?」
スカリーは半ば皮肉っぽく笑いながらも、ボウルの中身に興味津々の様子だった。
「いや、FBIアカデミーじゃ料理教室はなかった。でもほら、Xファイル捜査の合間にはレトルトだけじゃ飽きるしな。独学さ、愛と執念のボロニア・ソーセージってやつさ」
「なにそれ?」
スカリーは困惑している。
モルダーは炒めた玉ネギを火から下ろし、粗熱を取るために冷ましておく。
「この工程が重要なんだ。空気を抜きながら、真実を閉じ込める。さながらディープ・スロートの証言みたいなもんだな」
モルダーは青いニトリル手袋を指にはめ、パンと手を叩いて鳴らした。
ボウルには炒めた玉ネギ、パン粉、卵、そして先ほどミンチにした牛肉が入っている。
「さあて……ここからが本番」
彼は無言でその中身に手を突っ込み、ぐいぐいと、粘りが出るまでしっかりと練り始めた。肉が指の間からぬるりと滑る感触を確認しながら、確実な動きで混ぜていく。
その様子を横から眺めていたスカリーは、ふと皮肉めいた微笑みを浮かべた。
「……いつもの私の“仕事”に似てるわね」
モルダーは手を止めずに顔だけスカリーの方へ向け、片眉を上げた。
「アレのことか?そりゃまあ、似てるかもな。ある意味、人体の神秘を探る作業だ」
「玉ネギとパン粉入りで?」
「味がついてる分、まだマシさ」
スカリーは思わず吹き出した。
「次は“腸詰め”でもやってみる?」
「冗談抜きで、僕は自家製ソーセージも試したことあるよ、スカリー」
モルダーはすました顔で言いながら、ボウルの中で成形したパティをひとつ、丁寧に皿に並べた。
スカリーは苦笑を浮かべながらも興味をそそられた様子で問い返した。
「本気で? どこでそんな手間かけてる時間があったの?」
モルダーは手袋を外し、手を洗いながら答えた。
「以前、FBIの人事部から、働きすぎだから2週間休め、さもないと給料をカットするぞって言われた時があっただろ。あのとき、暇してた僕はローンガンメンのアジトでフロヒキーに“CIA職員もやってる自家製シャルキュトリ入門”っていうビデオを見せられてさ」
「……“見せられて”? というより、それ、ほんとにCIAの人なの?なんちゃってCIAとかじゃないでしょうね?というか、なんでCIAがソーセージ作りを……」
「……まあ、あくまで“自称”だけど、キッチンに“鳩時計型マシンガン”とかパスポート10冊くらい飾ってたから、まあ、いかがわしさは満点だったな」
スカリーはタオルで手を拭きながら、興味と半信半疑が入り混じった表情で聞き返した。
モルダーは手元のフォークでハンバーグの端を切り分けながら、どこか懐かしむように話を続けた。
「その“自称CIA”の男、名前は“ビリー・ボブ・コリンズ”。テネシー訛りのきつい声で、“豚の肩肉はまず塩漬け、次にスモーク、そして真空パック、三段階が基本だ”って、やたら熱弁振るっててさ……」
スカリーは眉をひそめつつも、面白がっている様子で首を傾げた。
「……それ、本当にソーセージの作り方?“何かの解体”の手順とかじゃなくて?」
「いや、間違いなく“料理”だった。少なくとも“見た目は”ね。でもやつの冷蔵庫の中には“豚肉”以外の“何か”も吊るしてあったのが気になったな……」
「冗談でしょ?」
モルダーは笑って、肩をすくめた。
「半分は。……いや、四分の三くらいか。でもそのビデオのおかげで、僕の自家製ソーセージスキルが飛躍的に上がったのは確かだ」
「あなたのお料理教室、FBIのカルチャークラブ活動に含めていいか厚生部に聞いてみるわ。たぶん却下されるけど」
「だろうな。でも、ほら。結果として君が今こうして僕のシャルキュトリの恩恵を受けてるってわけだ」
「それで? どんなふうに作ったの?」
「手回し式のソーセージスタッファー買い求めてさ、挽いた豚肩ロースと背脂、乾燥セージ、マジョラム、そしてあのときはピンクソルトも少し混ぜてたっけ。羊腸をぬるま湯で戻して、慎重にチューブに通して……まるで時限爆弾を扱うみたいだったよ」
スカリーは思わず吹き出す。
「……腸に詰め物しながら“これが真実か…”とか言ってたの?」
「いや、“これが人間の限界か……”の方だった」
「で、味は?」
「人生の中でも五本の指に入るくらい旨かった。……その代わり、キッチンは脂まみれ、作業中にBGMで流してた『未知との遭遇』は、ソーセージの破裂音でクライマックスが台無しになったけどな」
スカリーはキッチンカウンターにもたれて、ワイングラスを手にした。
「あなたって……本当に、謎の多い人ね」
モルダーはにやりと笑って答えた。
「謎がなきゃ、Xファイルは始まらないだろ?」
スカリーはグラスを傾け、もう一度、うっすらと笑った。
「……モルダー、どこまで趣味の幅を広げてるのよ」
モルダーは肩をすくめながら、練り上がった肉だねを掌でまとめ始めた。
「真実を追うには、胃袋も満たされてないと。空腹だと宇宙人と向き合う気力も湧かない」
「……言い訳がグルメすぎるわよ」
スカリーは、洗ったばかりのボウルを拭きながら、ふと温かな匂いに鼻をくすぐられた。
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……ローン・ガンメンのアジト……
フロヒキーはナプキンをくしゃっと丸め、スチール製のテーブルの端に置いた。
「“CIA職員もやってる自家製シャルキュトリ入門”を見て、俺もいろんなソーセージ作りに挑戦したが、試した中ではボロニアが一番うまいな。」
テーブルの中央には、かろうじて温かいソーセージとパックのサワークラウト、そしてビール缶が数本転がっていた。
「お前、それモルダーにも見せてたな」
ラングリーがメガネのブリッジを押し上げながらカップ焼きそばをズズッと啜り、肩をすくめる。
「あいつ好みのいいポルノが無かったんでな。」
「モルダーは……今ごろ、スカリーと美味いもん食ってるとかないだろうな? もしそうなら、俺たちほんと惨めだぜ!」
「バカ言うな。あいつだって、週末は俺たちみたいに男の一人メシだろ、どうせ。自分の部屋で例のポルノ雑誌見ながらな」
「だといいがな」
「……あるいは、セイコーマートのホットシェフのカツ丼とかな」
「ラングリー、それって日本限定だろ」
バイアーズが無表情で突っ込む。
「うん。でもな、俺、この前日本旅行に行った時に茨城で食ったんだ。カツがサクッとしてて、玉子も半熟ふわとろで……タレの染み具合も絶妙だったんだよ。あれの発明だけでも日本人は偉大だぜ」
ラングリーが急にうっとりとした目で、しみじみ語り始めた。
「おい……、いつの間に行ってたんだよ茨城。てっきりウィキリークスのサーバー追ってたんじゃ……」
フロヒキーが目を丸くする。
「追ってたよ。でもついでに、茨城の大洗にも寄った。セイコマのカツ丼食いながら、現地のオタクと一緒に磯前神社の階段の写真撮ったんだ」
「それ、日本のアニメファンがやってる“聖地巡礼”ってやつか……」
バイアーズが思わず苦笑いしつつ、ラングリーのTシャツを見ると、やはりそこには『ガールズ&パンツァー』のキャラがプリントされていた。
「しかもお前、それ着て行ったんじゃないだろうな……」
「当然だろフロヒキー。俺たち情報戦のプロでも、心は少年なんだよ」
「ロン毛のおやじが日本の茨城でアニメに想いを馳せて、セイコマのカツ丼語ってる時点で、もう色々と終わってる気がするけどな……」
フロヒキーが小さくため息をついた。
「フン。でもな、あの味は忘れられない。たとえモルダーがスカリーと一緒にミートローフ作ってたって、俺は後悔しないね…………って、誰だよセイコマの話に持ってったの」
「お前だよ、ラングリー」
三人、またしても同時に沈黙。
「いいか、俺たちは真実を食って生きてるんだよ。ビタミンの謎ふりかけを振った完全メシよりも、栄養があるってわけさ」
ラングリーが胸を張って言うが、何の慰めにもなっておらず、余計に惨めだった。
「そのわりに、最近やたらビタミンCのタブレット摂ってるけどな」
バイアーズが冷静に指摘する。
「免疫は真実じゃ補えねえの!とにかく……」
その背後で、電子レンジがピーピーと音を立てる。中には、冷凍のミートローフとマッシュポテトが回っていた。
「……これじゃ、モルダーに勝てるわけねぇよな……」
フロヒキーが、静かに呟いた。
沈黙が三人の間を包んだ。ラングリーが気まずさをごまかすようにテレビのチャンネルを変える。画面に映ったのは『女刑事ペパー』の再放送だった。
「……いいな、ペパー。なんか、タフで、でも情があって……。」
フロヒキーがしみじみと言った。
「お前、昔からああいう強い女好きだったよな。だからスカリーに気があるのかよ」
とラングリー。
「たまにはロマンスも欲しいね、僕たちにも」
とバイヤース。
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……再びスカリーの自宅……
次に始まるのは、香ばしい焼きの工程だった——二人の“Xファイル:ダイナー・クロニクル”は、まだ始まったばかりである。
しばらくして、モルダーは程よく丸めたパテを両手でパンパンと空中で整えると、ジューッと煙を立てるフライパンの中央にそっと置いた。
「この音がいいんだよな。宇宙人の金属装置が反応した時の音にちょっと似てる」
「もうその例えやめてくれる? 食欲なくなるから」
モルダーは肩をすくめ、すっかり厨房の主になった顔でハンバーグをひっくり返すと、ジュワッという香ばしい匂いが立ち上がる。ナツメグと牛脂の匂いが、どこか懐かしい温かさを含んでいた。
「僕の作る“X-ファイル級ハンバーグ”は、真実と同じで、一口では味わいきれない奥深さがあるんだ」
スカリーはくすりと笑った。
「そのネーミングだけで、もう胃が重い気がするわ……じゃあ、焼きすぎて焦がしたら、真実も台無しね」
スカリーは小さく呟いた。
やがて、ジュウジュウと焼き上がる肉の音が、煙抜きファンの音に重なった。モルダーは小皿に自作のソースを作り、スカリーはキッチンカウンターにワイングラスを二つ並べる。
静かな日曜の午後。FBIのエージェントたちは、ようやく戦いを忘れ、家庭的な時間を噛み締めていた。
モルダーは出来上がった特製Xファイルハンバーグを皿に盛り、マッシュポテトを添える。テーブルについた二人。
「さあ、スカリー。めしあがれ。真実は皿の上にある」
どこか誇らしげに微笑んだ。
「ええ、たぶんコレステロール値の真実もありそうね」
スカリーはフォークを構えながら、そう返した。そして、ハンバーグを一口、口にした。
頬張った瞬間、目を見開き、思わず手を止めた。
「わぁお……」
ナツメグのほのかな香りとジューシーな肉の旨み、焦げ目の香ばしさが口いっぱいに広がった。玉ねぎの甘みが下支えになっていて、パン粉と卵の絶妙なバランスがふんわりとした食感を生んでいる。
「え、モルダー……これ、店出せるレベルよ?」
「“Xファイル・ダイナー”開店だな。店のロゴにはUFOのシルエットと、謎のFBI捜査官コンビのシルエットを並べようかな」
「やめてよ、変な人しか来なくなるじゃない」
モルダーはマッシュポテトをスプーンですくって自分の皿に足した。
「それでも毎週金曜の夜には、ローンガンメンの連中が予約してくるさ。フロヒキーが“今日は念写できるバーガーはあるのか?”とか聞きながら入ってくるよ。あいつも結構、料理にはうるさいからな。前にあいつが作って料理、何て言ったっけ、ほら…ウェル…なんとか」
「もしかして“Huevos rancheros(ウエボス・ランチェロス)”?メキシコの“牧場の朝”風目玉焼き……じゃない?」
「ああ、それだ」
スカリーは笑いながらもう一口ハンバーグを味わい、目を閉じた。
モルダーはフォークを皿に置き、残っていたマルティーニを一口啜ると、ニヤリと笑って言った。
「――あの“ハゲ”だって、きっと気に入ってくれるさ。僕の味を」
スカリーは、思わず吹き出しそうになってナプキンで口元を押さえた。
「ちょっと、やめてよ。“ハゲ”があなたの手料理を食べて泣いてる姿を想像しちゃったじゃない。1000パーセント無いけど」
「なに言ってるんだ。彼も味にはうるさい男だ。きっとこのハンバーグを前にすれば、涙を流すさ。“おい、モルダー。このナツメグの産地はどこだ?調査報告書を明日の8時までに私のオフィスへ持って来い。時間は厳守だ……”とか言いながら」
スカリーは笑いながら、グラスを手に取ってモルダーに軽く掲げた。
「じゃあ、その“極秘ハンバーグ”に乾杯しましょうか。あのハゲの承認はさておき、私としては合格よ」
モルダーもグラスを掲げ、軽くカチンと音を鳴らした。
「乾杯。Xファイルの謎より深い、家庭の味に」
「でもね……」と、少し真面目な声になって、「あなたがこうして料理をするなんて、なんだか、いいわ。生きてるって感じがする」
モルダーは手を止め、静かにスカリーを見た。
「本当の真実は、案外こんなところに転がってるのかもしれないな」
「それにしても、ちゃんとナツメグ効いてる。さすが、自家製ソーセージ経験者」
「だろ? 食って解決する未解決事件もあるさ」
キッチンにほのかなナツメグの香りと、二人の笑い声が溶け込んでいった。
「なあ、スカリー 。1976年2月、ジェラルド・フォード大統領は『女刑事ペパー』の放送時刻を遅らせないよう、火曜日の記者会見のスケジュールを変更させたって知ってる?」
スカリーはフォークでマッシュポテトをすくいながら、片眉をわずかに上げた。
「ええ? それ、本当に公式記録にあるの?」
モルダーは満足げにハンバーグにナイフを入れ、肉汁がジュワっとあふれる様子を見つめながらうなずいた。
「もちろん。ホワイトハウスのアーカイブにも残ってる。フォードは大統領のスケジュールよりもアンジー・ディキンソンの活躍を優先したんだ」
スカリーは笑いながら赤ワインを一口。
「まあ、確かに当時“女刑事ペパー”は人気だったけど…そんな理由で国家の会見を延期するなんて、信じられないわ」
モルダーはハンバーグの一切れを口に放り込み、目を閉じて味わう。
「スカリー、大統領が国民の娯楽のために記者会見の時間を変えるっていうのは、ある意味で最も正しい政治判断かもしれないよ」
スカリーは苦笑しながら皿を見下ろし、ぼそりと呟く。
「だったら、私たちのXファイルの調査も…視聴率さえ取れれば予算がつくってことかしら?」
「それだ!“Xファイル:ダイナー・クロニクル”——超常現象を追うFBI捜査官が、毎回、食堂に足を運び、孤独のグルメみたいに料理を味わっていくという異色グルメドラマ」
スカリーはとうとう吹き出した。モルダーは赤ワインのグラスを持ち上げながら、にやりと笑った。
「真実は、味の向こう側にある——って、キャッチコピーも考えてあるんだ」
スカリーは呆れたように笑い、ナイフでハンバーグを切りながら言った。
「いいわね。じゃあ次回は“エリア51のカフェテリア編”とか?“グレイタイプの宇宙人が好む本日のスープ”を検証するの」
モルダーは相槌を打ちながら、マッシュポテトにフォークを刺す。
「いや、そこは“レプティリアン御用達のサラダバー”だな。やつら、案外ビーガンかもしれないし。逆に牛の内臓に目がないっていうのは、ステレオタイプだ」
「……やっぱり本気じゃないの」
スカリーはあきれ顔で笑いながらも、心のどこかで、そんな企画があっても面白いかもしれないと思っていた。
そして小さくため息をついたあと、モルダーの方を見て言った。
「ま、どっちにしても——」
「——真実はいつもメニューの中にある、だろ?」
二人は同時に吹き出した。
「じゃあモルダー、あなたは未確認焼きそばの回を担当してね。私はポルターガイスト・パスタあたりで」
キッチンの片隅で湯気を立てる鍋と、グロックに脂の痕を残したホルスター。
超常と常識、笑いと真面目が混ざるその食卓は奇妙な夕食会となっていた。
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…再びローン・ガンメンのアジト…
その時、バイアーズの端末が軽く音を立てて点灯した。
「……モルダーからメールだ。“スカリーの家でハンバーグを作った。冷凍しておいたから月曜に持ってく”だと」
フロヒキーとラングリーが顔を見合わせる。
「……なんだよ、やつ、やっぱり料理してやがったのか」
「しかもスカリーと? くそっ、どんだけ作ったんだよ」
「月曜が待ち遠しいな」
三人の間に、かすかな期待と羨望が交じった奇妙な静けさが漂った。
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おわり